ホテルのロビーで知っている人の顔をみた気がして覗きこむと、彼女は僕の名前を呼んだ。
本当のことは言った方がいい、ただし嘘を少し、それともいっぱい盛り込んで。
でも、大切なことは言わない方がいい。
近くのカフェでコーヒーと甘いケーキを食べた。ライターがないのを見ると、マッチをくれた。
箱には「イヴは三つピストルを持ってる」と書いてあった。
笑いながら葉巻を吸う。
仕事を済ましてくると言った彼女を待つ間に、この街で一番賑やかな通りを歩いて公園まで行った。
去年の夏はこの場所を囲む壁に登って朝日を見た。
真下に流れる川の傍の店ではまだダンスミュージックが流れてた。
古本屋と画廊をめぐり、大道芸人に小銭を投げる。
ホテルのロビーに戻ると、彼女はソファに座ってた。
少し休憩しますか、もう出かけますか?
ここも有名な通りです、という言葉に連れられて、石畳の道を下る。
ジプシーバンドが演奏する屋台に入って、ビールを飲み、カツレツとサラダを食べる。
この魚はどこから来たの?あの川から?
これはうなぎみたいにね、とても細長くて、川の底に住んでるんです。
すごく柔らかくて、美味しい、きっと賢いんでしょう。
その通りですね。
後ろを振り返ると、雨が降ってた。この国に来て初めてみる雨だ。
でも誰も急いでないですね?
そうです、みんな家も近いんでしょう、でもみんな変わってます。
あなたは寒くないですか?
先週はひとりで家にいるのが嫌で街をぶらついたけれど、結局何もすることがなくって、
ビデオ屋でリバー・フェニックスのVHSを借りた。
タイトルは、さよならのキスもしてくれない、だった。それしか覚えてない。
あなたは結婚しないんですか?
そうですね、どうしてしないんでしょう。でもしないんですよ、きっと。
前に知り合った人は初対面で突然、子どもは何人いるの?って聞いたよ、びっくりだよね。
ほんとうですね。
でも不思議よね。
もう一杯飲みますか?という彼女に連れられて、また夜の街を歩く。
明るいのか、暗いのか、分からなくなってくる。
旅をしているからかな、ここは昼と夜が、とても違う気がする。匂いも、風も。
二人でライトアップされた教会を見る。
昔住んでた時は気づかなかった、とても大きいんですね。
家に帰るという彼女がタクシーに乗るのを見て、僕はホテルに戻った。
ベッドに入る前に、もう一度カーテンをあける。
オレンジ色の屋根が並んだ隙間から、大きな川と、そこにかかった橋が見える。
この街はすごくきれいと、そんな簡単な言葉を、
誰かに言ってほしかった。