2009年11月15日日曜日

雪、nobody



ほらほら見せなさいよ彼女の写真を、もったいぶってんじゃないわよ、私が調べてあげるから。
行きつけだというお蕎麦屋さんに入って、目当ての店員がいないって管を巻いてた女は僕にこうからんできた。

その時僕は素直な学生で、てんで抜けていたから、威勢のいい酔っ払った彼女の言うがままだった。

19歳か20歳の頃、憑かれたようにインスタント・カメラで友達の写真や、自分の写真を撮っていた。
女子高生みたいだな、デジカメを買えよ、現像代が高くつくだろう、よくそう言われた。

その頃つきあってた女は決して自分の顔を撮らせなかった。
いつだったか何枚か、自分の姿を撮らせたことがあったけど、出来上がったプリントはくれなかったな。
今年の冬に別れた女はレンズを向けても顔を背けなかった。
写真をちょうだい、雑誌に送るからと、言ってたっけ。

本に挟んだ写真を取り出して、僕は女の言葉を待った。

目の前にいる友達の顔を撮って、それからカメラを渡して、自分の顔を撮ってもらう。
そんな儀式めいたことをよくしていた時があって、変な趣味だと言われると、
こうすると分かるんだぜ、相手と俺が、どんな関係なのか、って嘯いてた。

蕎麦屋で酔いが回ってそんな話をしたんだ。

女は写真を見て気を良くしていたが、僕にとっては写真を覗き込みながら逐一変わる表情が面白かった。

付き合ってどれくらいなのよ。
半年かな。
あぁ、別れるわよ、あと三月の命よ。


ここまで書いてから、僕は友達の女の子に電話をした。
来週一緒にランチを食べようと約束してたから、焼き肉にしようぜと言いたかっただけなんだけど、
私この前彼氏出来たの、と告げられた。

どうしてそんなこと言うんだ、ひどいぜ。
私達、長い友達だから言うけれど、あなたの軽い口調は嫌いよ、いいところも知っているけれど、欠点だと思う。
あなたのことを知らない人は、何も言わないか、きっと離れていくわ。

今付き合ってる人はね、僕を君の結婚リストの一番上に入れてほしい、って言ったのよ、
びっくりしたわ。

ごめんと何回も言って電話を切った。

僕にはもう、決して言えない言葉を、
簡単に言える男もいるんだな。

「大切なことは一瞬で起きてしまうから、だから私達、その日に備えて、
 たくさん音楽を聴いて、一人部屋で読書しようと思ったの」

それって一体どういう意味なんだろう、訳が分からないよ。

2009年10月13日火曜日

この街の夜は



ホテルのロビーで知っている人の顔をみた気がして覗きこむと、彼女は僕の名前を呼んだ。

本当のことは言った方がいい、ただし嘘を少し、それともいっぱい盛り込んで。
でも、大切なことは言わない方がいい。

近くのカフェでコーヒーと甘いケーキを食べた。ライターがないのを見ると、マッチをくれた。
箱には「イヴは三つピストルを持ってる」と書いてあった。

笑いながら葉巻を吸う。

仕事を済ましてくると言った彼女を待つ間に、この街で一番賑やかな通りを歩いて公園まで行った。
去年の夏はこの場所を囲む壁に登って朝日を見た。
真下に流れる川の傍の店ではまだダンスミュージックが流れてた。

古本屋と画廊をめぐり、大道芸人に小銭を投げる。

ホテルのロビーに戻ると、彼女はソファに座ってた。
少し休憩しますか、もう出かけますか?

ここも有名な通りです、という言葉に連れられて、石畳の道を下る。
ジプシーバンドが演奏する屋台に入って、ビールを飲み、カツレツとサラダを食べる。

この魚はどこから来たの?あの川から?
これはうなぎみたいにね、とても細長くて、川の底に住んでるんです。
すごく柔らかくて、美味しい、きっと賢いんでしょう。
その通りですね。

後ろを振り返ると、雨が降ってた。この国に来て初めてみる雨だ。

でも誰も急いでないですね?
そうです、みんな家も近いんでしょう、でもみんな変わってます。
あなたは寒くないですか?

先週はひとりで家にいるのが嫌で街をぶらついたけれど、結局何もすることがなくって、
ビデオ屋でリバー・フェニックスのVHSを借りた。
タイトルは、さよならのキスもしてくれない、だった。それしか覚えてない。

あなたは結婚しないんですか?
そうですね、どうしてしないんでしょう。でもしないんですよ、きっと。
前に知り合った人は初対面で突然、子どもは何人いるの?って聞いたよ、びっくりだよね。

ほんとうですね。
でも不思議よね。

もう一杯飲みますか?という彼女に連れられて、また夜の街を歩く。
明るいのか、暗いのか、分からなくなってくる。
旅をしているからかな、ここは昼と夜が、とても違う気がする。匂いも、風も。

二人でライトアップされた教会を見る。
昔住んでた時は気づかなかった、とても大きいんですね。

家に帰るという彼女がタクシーに乗るのを見て、僕はホテルに戻った。

ベッドに入る前に、もう一度カーテンをあける。
オレンジ色の屋根が並んだ隙間から、大きな川と、そこにかかった橋が見える。

この街はすごくきれいと、そんな簡単な言葉を、
誰かに言ってほしかった。

2009年10月6日火曜日

いつか僕も







星になりたい、海になりたい


2009年8月31日月曜日

本当につらい



 今年の夏は花火を見なかった。どうしてだろう。
 恋は遠い日の花火ではない、は素敵なコピーだし、頷ける内容だけれど、否定の形でしか語れない点を、僕は悲しいと思う。

 いつだってつかみ損なってしまう。そしてそんなことが続くと、自分を愛することすら忘れてしまう。

 生々しい舞台を離れて、抽象的な台詞を口ずさむことも嫌になった。

 物語に興味が持てず、「詩」しか好きになれないことが、僕の敗北感の原因かもしれない。

 本当につらい、本当につらい、と呟く日々が待っているのかもしれないけれど、それはこれまでとは違う、成功と失敗の繰り返しとは違う、新しいことに辿り着くための手段だと思うから。

 生々しい舞台に戻り、言葉を忘れて汗をかきたい。

2009年8月4日火曜日

すてきな人の、言葉



全然知らない人だけど、すてきな事を言ってくれた。

書いてしまうと意味がないくらいのことだけど、お酒を飲みながら、真面目な顔でそう言われると、
この言葉は、信頼することができると、思った。

力強い台詞じゃなくても、誠実さはよく分かるだろう。

もう少し時間が経って、当たり前だけど大切なことを、こんな風に話せる日が来るなら、
音楽や、文学にふれてきた意味があるのかな。

そのとき愛する人がいなくても。

2009年7月29日水曜日

あたらしいこと、ではなくて



いま目の前にあるものから形にすることが必要かもしれない。
7月25日のイベント「un-fold vol.1」で後藤繁雄さんも「冷蔵庫を開けて、残り物で彼女に料理を作れ」って言ってたし。

大学院で取り組んでいた雑誌「fold」が完成した。
鞄から取り出して誰にでも簡単に見せられる「雑誌」を自分達で作れたのは素敵なことだと思う。
これからは友達に会うたびに見せびらかすだろう。

個人的に、吉増剛造さんのインタビュー記事は多くの人に読んでほしい。

6月28日のイベントについても、必ず形にして残そう。
そしてもっと続けていこう。

工藤冬里さんが言うように、僕たちは狭いサークルのなかに閉じ込められて、離れていっているのかもしれない。
それに反抗する気持ちは忘れたくない。

2009年7月2日木曜日

やりたかったこと



が終わっても、毎日考えていることは変わらない。
まだ何か、足りない感じがあって、歩くだけで苛立ってしまう。
予定調和のように感動して終わるのじゃあなくてよかった、と言っていいのだろうか。

とにかく一区切りついたのだから、これを続けることが出来るのか、考えよう。
まだするべきことは残っている気がする。

これは準備を進めている段階で仲の良い友達には言っていたことだけど、

自分のやっていることなんて何の意味もない
結局本当に気持ちを伝えたかった相手には届かない
負けるために、ひとりぼっちで泣くためにやってるみたいなものだ

僕は詩人でも音楽家でもないけれど、伝えたいことはあって、
自分に出来ることはこれしかないから、一生懸命やったのだけれど、

自己満足も、充足感も、達成感も、何にも意味はないのだ。

だから、工藤さんが、自分は結局人を愛することは出来ないことが分かっている、
でもそこから何かやろうとしている、と言ってくれたことが救いだった。

せめて、
6月28日は、僕にとって大切な日にしよう。


来て下さった方々、最後まで残ってくださった方々、ありがとうございました。

2009年5月31日日曜日

藤井貞和/吉増剛造/工藤冬里




詩や歌を大切に思っている人に来てほしい、この三人が素晴らしいことは分かりきっているんだから、説明はしたくありません。
彼らが今も詩を書き、朗読をして、演奏を続けているのがどれだけすごいことか、分かってほしい。

なんてね、興味だけで十分です。
詩と歌を、聞きに来てください。

―藤井貞和 吉増剛造 工藤冬里―
    「朗読と、演奏と、歌」     
―詩と、詞と、声が降るように― 

東京大学駒場キャンパス音楽実習室(コミュニケーション・プラザ北館2F)

 ■6月28日(日曜日) 開場__午後5時 開演__午後5時半
                                                                                                               鼎談:「はじめてうたう日のために」 藤井貞和×吉増剛造×工藤冬里 
                                                                                                               朗読:藤井貞和×工藤冬里
                                                                                                                  :吉増剛造×工藤冬里
                                                                                                               演奏:工藤冬里ソロ

                                                       ■学生:無料(要学生証)/一般:2000円(予約) 2500円(当日)
                                                      ■予約・問い合わせ:yoyaku-blueholiday×mail.goo.ne.jp(×を@に変えて下さい)
                                                                                                  _予約の際は、人数分の氏名、所属(学生又は一般)、電話番号をお伝えください              
                                                                                                  _当日は学生・一般に関わらず予約順にご案内いたします
                                                                                                  _座席に限りがあるためご予約をおすすめします



 

2009年5月25日月曜日

ひさしぶり


に友達に会いたいと思ったときに、電話をかけてメールをして、それでも会えなければ、やっぱりショックだろう。
でもあいつのことだから今は忙しいだけで、また後で落ち着いたら遊びに行こう、って思うだろう、普通の時なら。

ただあのときは、言いたいことがあったのかもしれないな。今まで言ったことのない、もっと違う台詞を。

土曜日の晩と日曜日の晩で、半年ぶりか1年ぶりくらいの友達に会う。
でもあまり変わっていないようだから安心して話せる。

一体誰に何を伝えたかったのかな、そのことだけが知りたい。

昨日も今日も雨が降った。

こんな時は、もっと悲しいことをいったりして、悲しい気持ちになってもいいんだろうけど、
正直そうなれない。

もっと違う方法があったんじゃないかって、皆思ってるぜ。

昨日はひどい耳鳴りがして目を覚ました。
夢の中で俺は、お前の名前を叫んでいた。

2009年4月28日火曜日

勇気を出して、もう一度



「恋する距離」ってタイトルも変えちまおうと思ったけれど、意味合いは気に入らなくてもパッと見た感じは悪くない気もするので
もう少しこのままにしておこう。

acatate から出版された「ビリーのグッド・アドヴァイス」の中に
Don't fall in love. (恋に落ちるな)
という格言があって、この本を買った時僕は確か19歳だったから、一体この言葉が何を意味しているのかさっぱり分からなかった。
それよりそのすぐ下にある言葉、
Create confusion: it helps. (混乱を創りだせ。それは助けになる。)
の方がしっくりきた。というのは、女の子にふられたり試合で負けたりにっちもさっちもいかなくなっていた時期は、このメランコリーが助けになるんだ、と思いこむためにこの言葉を使っていたからだ。一体何の助けになったのか、まるで分からないけれど。
あとづけで言うなら、自分が何を選択しなければならないかよく分かる、というか、選択しなければならない状況で選択したものこそ自分にとっては大切なものだと分かる、ということかな。
でも思い返してみても、あんな混乱は二度とごめんだけど。

恋に落ちない、ということが僕にとっては今は大切なことだと思う。
ていうかもう落ちてるんだから、これからはそれを越えて、あるいはもっと深く、愛することを学ばなければいけないな、ということ。
恋に落ちる瞬間を持続させようとしたり、それに浸ったりすることは間違ってる。
Don't fall in love が果たしてそんな意味合いの言葉なのか分からないけれど、3ヶ月前にこのことが分かっていればと思う。

だからもうそろそろ自分のことじゃなくって、愛するものについて語り始めたい。

4月5日は今から3週間前のことで、僕がクロアチアから帰ってきてから5日目だと思う。
まだ桜が咲いていて、僕は日本に帰ってきてよかったと思った。
国立で、工藤冬里さんと工藤礼子さんのライブがあると知ったので、必ず見に行こうと、3月にクロアチアに行く前から決めていた。日本に帰ってきたいと思った理由の一つが、工藤冬里のライブを見ることだった。

国立の駅で降りたのは2回目か3回目だったと思う。
駅前にも桜が咲いてて、学生達が集まっていた。
バスに乗って会場のホールまで行く。隣がスポーツクラブで、すぐ前が公園になっていた。何本も大きな桜があって、花見をしながら大きな声を出している人がいたり、ホームレスがいたりした。ホールの前で葉巻を吸いながら、公園の電灯に照らされた一番大きな桜を見ながら、実家の近くの公園に咲いている桜を思い出した。
工藤冬里は昔国立に住んでいたらしいから、今日のライブはきっと素敵な雰囲気になるだろうな、と思った。
昔住んでた場所に戻って、桜を一緒に見れたら、どんな気持ちになるんだろう?

工藤冬里がピアノを弾いて、工藤礼子が歌うスタイル。
会場はたぶん馴染みの人達が多いみたい。
吉祥寺で見た時は会場が満員で、二人の姿はほとんど見えなかったんだけれど、今日は全部見えるから嬉しい。
工藤礼子の歌う姿は、その歌と一緒で、弱々しく見えても、女の人が持っている強さと自由を充分すぎるくらい表現している。
少女と、成熟した女性と、子供を持つ母親の全ての印象と力強さが合わさっている感じで、僕の周りにこんな人はいないな、と思った。
工藤冬里のピアノはあんまり上手すぎて、何も言うことができない。僕は漣のように音をかさなていくところが好きだけれど、工藤礼子が砂の上をゆっくり歩く後ろで大きな海を作ろうとしている、とでも言ったらいいのかな。彼がギターを弾いたり歌ったりする姿と同じで、のびのびとしながらどこか危うげなところがとてもカッコいい。

あまりに気持ち良くて、少しうとうとしてしまうくらい。

でも本当は、素晴らしい、最高だ、と思う一方で、演奏に集中できない気持があった。

一体僕はどうしてこういう音楽が好きなんだろう。
この会場には50人くらいしかお客さんがいないし、関係者じゃなくって純粋なファンだという人は少ないかもしれない。
僕はどうしてもっと皆が聞くような、CDがたくさん売れているような音楽より、工藤冬里さんの音楽が好きなんだろう。

最近の僕は、自分が厭になることが多くて、いやそうじゃなくて、自分が厭になりきれないところがもっと厭で辟易してしまうことが多いのだけれど、そんな僕がこんな素晴らしい音楽を聴いてていいんだろうか。

いやもっと言えば、チャーリー・パーカーを聞いたり、アルゲリッチを聞いたりしている方が、誰かと話をあわせることも出来るし、誰かに説明するのも簡単だ。チャーリーもマルタも素晴らしい音楽家で、それぞれの歴史を背負っていることは変わりない。
でも僕は音楽好きの友達に聞いても知っている人は1人しかいない工藤冬里の音楽がたまらなく好きなのだけれど、それは一体どういうことなんだろう。

結局他の人が知らないから、という理由で魅力を強く感じているんじゃないだろうか。
素晴らしい音楽、というだけなら、みんなが知っているものでもいっぱいあるだろうし、そういう音楽を聴いている人にとっては、
僕の趣味なんて理解できないだろう。
まるで狭く閉じられた穴に入り込んでしまっているように見えるんじゃないだろうか。

そうじゃないはずだ。だから、どうして工藤冬里の音楽があまりに素晴らしくて、僕にとって必要なのか、きちんと理解しなくてはいけないと思っていた。昨日のライブから今日までずっとそんなことを考えていたけれど、これは演奏を聴くのにあんまり良い状態じゃないよね。

最後の曲はホタルの歌だった。少しかがみこみながら歌う工藤礼子さんの姿は、あぁこの人はやっぱりすごいパフォーマーだな、と思わせた。
一番前の席に座って、リュックサックから何か取り出そうとガサガサ音を立てている人の動きが大きくなっているような気がした。
そうかもう一人演奏者が加わるのかな、この人はマヘルのドラマーじゃなかったっけ、と思った。
太鼓やシンバルをとりだしてステージ脇に置いていく、でもその取り出す音が不自然に強調されてる気がして、ピアノや歌より会場内に大きく響いてきた。
それでも演奏はかまわず続いていく。

その人はステージに上がってシンバルや太鼓をたたき始めた、相変わらず続けられている演奏とは全く関係ない音を出し始めた。それからいきなりステージの端までダイブして、シンバルを思いっきり鳴らしたりした。ピアノの足の下でねっ転がっていびきをかいたり、工藤冬里の弾くピアノを子供のように覗き込んだりした。
それでも演奏は関係無しに続いていく、もっとセンチメンタルになった気もする。

おかしくてたまらなくて、会場はもう皆笑っていたけれど、僕はもう涙が止まらなかった。
なんて素晴らしいものを見せてくれるんだろう。
こんな繊細で、大胆で、観客に対して表現するという行為のすべてを熟知している姿は見たことないぜ。
この場所にこんなすごい人達がいるなんて信じられない。

あぁそうだな、たとえ大きな組織に入ってなくても、世界中を飛び回っていなくても、たった一人でも、
音楽が、あるいは芸術が人に与えるはずの勇気を、一個の軍隊を吹き飛ばすくらい表現することはできるんだな。
僕が工藤冬里の音楽を大好きなのは、彼の音楽がそのことをよく分からせてくれるからで、だから僕に必要なんだ。


2009年4月23日木曜日

Believe Holiday




にするべきだったな、「Blue Hoiday」じゃなくって。

久しぶりに Robert Wyatt の1974年のライブ盤を聞いたらとっても良くって驚いてしまった。
確か2,3年前にこのCDを買った時は、どうにもうまく集中して聞けなかった気がする。
色々あった結果かな。
最後の曲が「I'm A Believer」なので、Believe という言葉に行き当たったわけだ。


「無駄なことなんて一つもない」と言ってくれる知識人がいつかテレビや新聞の中にも現れないかなと思っているんだけれど、噂を聞かないところを見るとそういないのかもしれない。
頭のいい人というのは、無駄なことをしない人、ていうのが普通の考え方なのかな。

去年のことを思い返して、無駄な時間だったな、て思うことはやめたい。
でも彼女がそう思っているとしたら、とてもつらいことだな。
すべては自分がしたことなのに。

この三ヶ月のぐらいのことを思い返すと、自分が最低も最低の、てめぇのことしか考えられない人間だったなとよく分かる。今はよく分かるのに、その時は何も気づいていなかったのだろうか。
頭が少しおかしかったのかもしれない。いまだってたいして変わらないけれど。今日も結局言うべきことを言えなかった気がする。
少しづつ良くなっていけばいいと思うけれど。

少し前は、こうしたことを書くのは、自分を卑下しているようで、自慰行為をしているようで嫌だった。

そうじゃないこともある。そうじゃない書き方も、きっとあるんだろう。
自分を責めることはやめようと思うが、どれだけひどいことをしたのか、はっきりと理解したい。

文字にする以上、きっと誰かが読んでいると考えることは、重要なことだ。

昔つきあってた子は、僕のblogを読んで、これは私のことを言っているんじゃないの、って僕に問い詰めてきたことがあった。
その時はただ、やめてくれよ、と思ったけれど、今になってみると、悪いことをしたな、と思う。
少しは成長したいと思うのだけれど、同じ失敗をしているのかもしれない。

誰か好きな小説家の言葉を読んで、これは私のことを言っている!と思うことはよくあることで、
それは素晴らしいことだけれど、恐ろしいことでもある。
優れた文学には、社会の辺境で生きている(と感じている)人間にも伝わる力がある、ということだけれど、
その読者が、作品と自分の間で感情を昇華してしまって、どこか違う人に、場所に向かうことがないのなら、
果たして意味があると言えるだろうか。

blog は公開モノローグと誰かが言っていたけれど、それはいやだな。

人生には素晴らしいことがたくさんあると知っていたから、それを見せたかったんだ。

10年か、20年経って、もう一度あなたに会えたら、あの時はうまく言えなかったことを言いたい。



2009年4月4日土曜日

魂を救え!


タイトルはデプレシャンの映画から。

もう少し自分の話を続ける。

結局僕の人生なんて、若い人に救われることが多い。
少し前は、男なんて女の子に救われて、女の子に傷めつけられるだけ、なんてうそぶいていたけれど。

スニャのカフェにはもちろん暇を持て余したクロアチア人しかいなかったけれど、大声で自分達の話に夢中になっている彼らは、葉巻をふかした日本人の僕をたいがい無視した。
なんで俺はこんなところにいるんだろう、って感情に支配された僕はそうとう苛立っていて、出来る限り大きな声で注文をだしていたからかな。

この国にきた旅行者は、みんなとてもいい人だ、困っていたらすぐに助けてくれる、と言う。
それはあなたが女の子だから、あなたが優しい人だから、なんて当たり前のことは言わない。
あなたが男だから、あなたが優しくないから、なんて言えないし。

ある民族が、ある国民が、優しいなんて言ってもしょうがないだろうということだ。

もっといえば、優しいってどういうことだろう、ということ。
電車でおばあさんに席をゆずることや重い荷物を持っていたら助けてあげるなんてことは当然のことで、
優しさなんて特別言う必要もない。
(ということはそんなことすら出来ない人や、そんなことすらためらわれる場所は、最低も最低ということだけれど)

僕がカフェに求めていたのは落ち着くための椅子と渇きをいやすコーラと腹を満たすピッツァだったから、
しかも苛立ちをおさえるために葉巻をやたらめったらふかしていたから、しょうがないだろうけれど、
それでも3時間座って一言もクロアチア人から話しかけられなかったのは、まいったぜ。

正直、落ち込んでいたから、話し相手が欲しかったんだけどな。
一体俺はこんなところで何をしているんだろう、っていう気持ちは旅の間ずっと持っていたから、
その悩みを吹き飛ばしてくれる陽気さが欲しかったけど。

だからどうということもない。
欲しいものが手に入らない、なんてガキの台詞はもう言いたくない。

目的地で用をすまし、町の教会の前にあったアイスクリーム屋で時間をつぶした。

店の前のベンチには子供たちがいて、僕の姿をじっと見ていた。
「中国人」と言われた。

それはいつものことで、人種偏見なんて大したことじゃないぜ、ほんとの悲しみはもっと深いところにあるんだぜ、って思っているけれど、
やっぱりこんな場所で、こんな時は、その言葉を聞くと、つらくなってしまう。

僕は笑顔をつくって「日本人だよ、そんなこと言うんじゃねぇ」と返事をした。

さっさと駅に行こうかと思ったが、小学生ぐらいの子供たちが僕をにやにや笑いながら見ているのが嫌になって、隣のベンチでアイスクリームを食べた。

二人組の男の子が近づいてきて僕に話しかけた。
小学2,3年性くらいかな、同い年だろうけど、一人は体が大きくて、もう一人は小さい、でもとても仲が良いんだろう。
「どこから来たの?」「東京だよ」「中国人か」「違うよ日本だって」「そうだよ」「何してんの?」「記念館を見に行ったんだ」「ああ、そうか」「これからどうすんの?」「電車で帰るよザグレブまで」「気をつけてね」
こんな会話をして別れた。
かわいい子達だな、と思って、駅の方に向かって歩き出した。

公園で僕をじっと見てクスクス笑っていた女の子三人が僕の後をついてきた。
30メートルくらい離れて、キャッキャ言いながら追ってくる女の子を時々後ろを振り返って見ながら、こんな経験出来るもんじゃないぜ、なんて考えた。
駅まで行く道を間違えて、国道に入った時に、一番背の高い女の子が走って僕の目の前までやって来た。
「あなたどこから来たの、どこ行くの」「日本だよ、東京だよ、日本人だよ、汽車でザグレブに帰るんだよ」「ここで何してるの?」「記念館に行ってきたんだ」「あぁ、そうか」「ザグレブまで気をつけてね」
そんな感じで話した。

駅に逆戻りして、時刻表を見たら次の電車まで30分くらいあった。ベンチに座ってたら、さっきの男の子二人がやってきた。
「どこ行くの?」「ザグレブだって」「電車は?」「30分後」「OK、気をつけてね」
女の子三人組も傍で見ていた。

僕は愉快な気持ちになって、電車を待っている間、葉巻を何本もふかして、線路の上を少し歩いた。

乗ったのは夕方だったから、ザグレブに着いた頃にはもう真っ暗だった。
列車は何回かすごい音をたてて、駅に停車するたびに警官が走り回り、通路でフードをかぶった少年がタバコを吸っていた。

若い人が、たぶん好きなのは、というか、僕が彼らに救われたと思うのは、好奇心があるからだろう。
こんな場所に東洋人がいるなんて、おかしな話に決まっている、じゃあ声かけてみるか、っていう好奇心。

別に優しさなんて考える必要もなくて、好奇心さえあれば行動するし、誰かに手を差し伸べることだってするだろう。
それだけのことだけれど、この日は、スニャのカフェではなくって、ヤセノバッツの小学生がしてくれた。

途中の駅で、少年が二人の警官に肘をつかまれて列車から下ろされた。
今日のことは、僕の人生らしいぜ、と思う。

2009年4月2日木曜日

くさをなめる/つばをはく



成田に着いた時は雨が降っていて、これじゃあ花見も無理かなと思って、上野に向かうスカイライナーに乗りながら、ただ単にここにいるのはつらいことだな、と考えた。

とにかく僕はまだ桜を見ることはできる、それはラッキーなことだ。

ヤセノヴァツに行くには電車を乗り換えなきゃいけない、とザグレブの日本人に言われていたから、途中のスニャで飛び降りたのだけれど、駅員に乗り換え電車の話を聞いたら「今いっちまったよ」と僕が飛び降りた電車の尻をさして言うから、村に2軒しかないカフェでカプチーノを飲んでベリカ・ピッツァを食べながら4時間待った。

他人の言葉なんて信用するべきじゃないな、と最初は思った。
でも、要するに旅をしている時は、出来る限り苦労して自分で情報を集めて、好きなように行動しなくちゃいけない、ってことだ。
少なくとも、僕個人のルールとして。
それを他人の話を鵜呑みにして電車を降りたのだから、これは罰なんだと考えた。

旅は予想のつかないことが起こるから面白いんだよ、この時間を楽しめばいい、なんて物知り顔で使い古された言葉を吐くやつ
がいるけれど、目的がない、残りの時間も少ない、そして失敗からしか学べない、という悲しみを、そいつは分かっているんだろうか?

無人の駅からセンターに向かう一本道を
彼女が乗り換えたんじゃなくて、僕が飛び降りただけ、と歌いながら歩いた。

昔は、何でクラスメイトが休みになるとインドやアフリカにでかけていくのか分からなかった。朝5時に起きてジョギングして、ジムでサンドバッグを打ち込んで、次の試合に備えなくちゃいけないのに、歴史も文学もしらない国で世界遺産を見ることなんて、何の意味があるのか分からなかった。遠くにいくためにはここにいればいい、飛行機に乗る必要もないと思っていた。

延期された日常を過ごしていてよく分かったのは、僕には予知能力が欠けているということ。
たぶん、自分にとってこれから必要になるものを判断する能力は、あると思う。
でも周りをしっかり観察して、これから起こることを予感する、未来をみる能力が、足りない気がする。
「恐ろしいことが起こっているんだぞ」
映画「いつか読書する日」で、岸部一徳が幼児虐待で逮捕された母親に向かっていう台詞。
それが分からないままに、現在を送るというのは、ひどいことだろう。

君と世界が戦うときは、世界の側につきたまえ、
っていう知られた言葉は、僕が社会との接点を考える時に助けになる。

完全なる疎外だけを認識するんじゃなくて、やっぱりどこかで出会っていることを感じること、それを意識し続けること、
できればその糸を目に見えるものにすることが、今の僕には大切なことに思える。

旅をすることは、未来を見る力を養ってくれる気がする。
それがなければ死んじまうから。


きみの嘘が僕の嘘になれば






クロアチアではよく空を見上げたり誰もいない道を歩いたりしていた。

プリトヴィッツェでバスの時間を待つことに飽き飽きしてムキニェまで民宿を探して山道を登った時は、
空腹に負けてへたりこんでしまった。脇の下の皮膚がひどく敏感になって、林の上で鳴く鳥の声が響いた。
ブリユイ島までの船が欠航した帰りに車道をヒッチハイクに失敗しながら歩き続けて、だれかの畑に倒れこんでアーモンドの花を見た。
ユーゴロックのカバーバンドをホテルのカシノで見た帰り、真っ黒で明かりもないプーラの海沿いの道で少し大きな声を出した。バンドの演奏がひどくて熊が怖かったからだ。

バスで色んな町にいったけれど、特に目的もなくって、ラキヤから始まりリュバユハにサラタとクルフ、ゴルゴンゾーラチーズを絡めたメソをメインディッシュにデザートはパラチンケ・マームレイドを頼んでエスプレッソを飲む。たくさん葉巻を吸うことを覚えた。
夏のドブロブニクで見た星空と、背中にあたる岩肌が忘れられなくて、ビールを飲んでザグレブの夜をぶらつきながら、ああこの街は昔ユーゴスラヴィアだったんだと感じた。
白く大きな建築の中庭に店があり、真っ赤な絨毯と緑色のキルトが張られた椅子があって笑わないウェイターがいて、みんなが大きな声を出して騒いでいるが、通りは静かだ。ベンチには男と女がいて、そのままセックスできる体勢で座っている。
秘密の話をする場所が、ここにはたくさんある気がする。

毎日図書館で80年前の新聞を読みふけった後は、気に入ったレストランを探し、音楽を聞けるバーでビールを飲み、天井の高い映画館の暗闇で眠った。
東京でしていることと少しも変わらない。
どこにいったって、結局できることは一つしかないのかもしれない。

ただ星を見ている時は、昨日とは違うところにいる、遠いところまで来たんだと強く感じた。
だから、あの人と僕が同じ空を見ているなんて、とても言えない気がする。
噴水の縁に寝転がると、金色のマリア象とオレンジ色の大聖堂が一緒に見えた。
どうしても、空が昨日の空と同じなんて思えなかった。

マドンナとか、80sがやたらにかかるクラブに行った帰りの車の中で、
とびきり元気で1時間くらい男の話を喋っていた女の子達と、
「I just call to say I love you」って一緒に歌った時は嬉しかった。

川をみている時は、同じだった。
大学に入って住んだ部屋が多摩川の近くだったから、よく河川敷を散歩した。春は桜が咲いた。
草野球をする小学生や、犬を散歩させている主婦や、釣りをするおじさん達がいて、
僕は川の流れと、対岸をずっと眺めていた。1時間でも、2時間でも。
そのときの気持ちは、こんな国まで来ても、不思議と変わらない。
ドラヴァ川には橋がかかっていて、夕陽がとてもきれいだった。
みんな同じことを考えているといい。



「はるか遠くまで見とおすことができた―
 しかし、ヴェルマが行ったところまでは見えなかった。」
この言葉の意味が少し分かるようになった。

彼女のことを理解するためには、きっと同じものを見る必要がある。

二人のいる場所はもう、あまりに違うから。

2009年3月7日土曜日

僕には最後の空かもしれない



一番好きな映画は?と、もし問われることがあれば、これからも「恋する惑星」だと言うだろう。
もちろんゴダールやフェリーニやデプレシャンの作品の方が魅力的であったり真実であったりするのだが、
この映画の中の、金城武が誕生日の朝にグラウンドを疾走するするシーンや、ポケットベルを金網にさして去ろうとしたら鳴り出したので駆けつける姿や、「百万年愛す」という台詞や、トニー・レオンの部屋をエスカレーターにしゃがんで覗き込むスチュワーデスや、その女の裸の背中に置かれたミニチュアの飛行機や、「チキンじゃなくてサラダに乗り換えただけ」というサンドイッチ屋での会話や、フェイ・ウォンのださいサングラスや、ホテルを去る時に崩しておかれたハイヒールや、何もかもが僕の生活のあちらこちらに顔を出すから困ってしまう。電車に駆け込む時はもちろん、チンピラに追われて電車に滑り込む金髪の姿がフラッシュバックする。噂ではウォン・カーウァイは村上春樹の小説からヒントを得ているらしいが、実際これも僕の生活にやっぱり顔を出してくるから本当に困ってしまう。
そこからどう抜け出すかが問題なのだ。
というと、ポール・ニザンの「陰謀」にあった「青春からどう抜け出すか.....」っていうフレーズを思い出す(ほんとうの記憶だろうか)。
そういえば昔は、部屋に女の子を呼んだらこの映画を必ず見ていた気がする。
DVDは持ってないからいつも借りていたんだけど。ワインなんか揃えておくより、そうするべきだったな。

失敗ばかりが続くと泣いてしまう。
でもこんな下らない悩みが24のうちに出来て良かった、と思おう。

じゃあ一番好きな小説は何?と聞かれたらまた困ってしまう。
一番好きな作家は高橋源一郎か村上龍だけど、一番好きな本は決められない。
特別心に残っているのは、「僕たちの失敗」だけど。
この小説のラストシーンで、オートバイでぶっ飛ばしたまま生垣に突っ込んだ主人公が「僕はまだ、死ねない」と口にするところの感触は、今ははっきり分かる。
ちょっと前までは、ジョン・バースの「旅路の果て」の最後の台詞、「どうしたらいいか分からない、って言ったんだよ」がお気に入りだったけど、もうそうも言ってられないから。

来週の今頃はザグレブで上手いビールを飲んでいるだろう。そうだったらいい。
こんな時に行ってしまったら帰ってくる保証が無くなる気がして寂しかったけれど、
今は、何としても帰ってこなきゃいけない気が強くしている。

2009年2月24日火曜日

LAST DATE



一時間ごとに変わるような自分の感情の揺れ方に厭になる毎日だったけど、最近やっとそんなことを気にしてもしょうがないと、当たり前のことが分かった。これまでだってそうだったのに、どうしていつも同じような悩み方をするのかな。

海にいるのは人魚じゃなくて浪ばかりさ、潜ってみればいつもと同じ北海さ。
これはもちろん中原中也の詩とは全く関係のない引用だけど。

いつだって、頑張りたいと、自分のしたいことをするだけだと思った時は、コーチや先輩や友達の顔が浮かんだ。
結局僕はそういう風にできているから、自然に体を動かしていればきっと大丈夫だろう。
深く自分の心に従えば、いつだって優しくなれるはずだ。誰かが傍で手を振ってくれたから、ここまで来たんだろう。

うまい台湾料理を食いながら少しづつ元気を取り戻す。
土からとれた野菜と、血を流した肉が食べたい。

今日は久しぶりに恵比寿の写真美術館に寄ってきた。ただガーデンプレイスを散策して三越で佐世保バーガーを買って、ドアノ―の写真を見たかっただけなんだけど、つい本屋によって写真集を眺めてしまう。
もちろん吉増剛造の新著を買うべきなんだろうけどそれは一億人が買うからいいとして、長野重一さんの「遠い視線 玄冬」を買った。最初は、どこかで聞いた名前だと思って手にとっただけだった。

まず立ち見して、興奮した。あまりに素晴らしくて、と思って。いやいや最近センチメンタルだから何かここにないものが写っていれば感動するだけだ、と思って、とりあえず隣の写真集に手をのばしてめくってみたけれど、現実の非現実的瞬間をうつした写真には何もピンとこない、と思って、落ち着くために本屋を出て地下の展示を見に行った。1,2,3,と見て待ち合わせの時間に遅れちゃまずいから、と思って、もう一度「遠い視線」に目をやっても、その興奮は消えていない。

これはすごいんじゃないか、でもどうしてこんなに惹きつけられるのか。まず東京が舞台だ。人が写っている。風景が写っている。当たり前のことだ、と言うかもしれないが、本当にそうか、とこの写真集を見ながら思った。
互いに関係のない人達が、ただその場所にいたということで、写真の枠におさまっている場合が多い気がする。
彼らは視線をかわすことはない。

でもそのことが、決して冷たい感覚をつくらない、むしろその反対だろう。

どうしてだろうか、よく分からない。

あまりにもディスポジションが完璧だから?

もちろんそれもあるけれど、この写真達を見ていると、「内」と「外」が明確に現れたり、その境界が揺らいだりすること、それがまったく関係のない人たちの存在でつくられることが、よく分かるからかもしれない。
そのことが僕の感じるあたたかさと、どう繋がるかは、分からない。


2009年2月19日木曜日

わたしはライオン



午前3時に友達は帰ったから、僕は部屋で一人になる。
周りの人間が動いていく様を、映画のように見ている時間は終わった。

昨日はワインを開けて、家にあったジャズ・ボーカルのCDをあらかた聞いてから眠った。
寝違えた左首がずっと痛む。

好きなバンドの「ひみつ」という曲は、僕の現在にあまりにも似ている。
だからどうということはないが、悲しみの分だけ、知るべきことはあると思いたい。

2年前くらいは、恋愛のアナロジーで人文学の全ての理論は語れると思っていた。
それから違うことに夢中になって、もう一度恋をして、やっぱり一人になった時に、考えることは同じだった。
馬鹿のように執着を見せているのは、この体験についてもう少し考えることで、目を覚ますことができると思うから。
今までそうだった。これからもきっとそうだろう。

牧場で草を食ってたまに交尾してる牛とサバンナで肉になる獲物を探してるライオンはどう違うのか。
3時間前に帰った友達が言ってた、俺は彼女との将来を考えているから家に誘わなかった、と。
俺は意味が分からなかった。
じゃあ単にがっついていればセックスが出来ると思っているのか?
愛する人と結婚できると思っているのか?
お前は相手の気持ちも体も何も考えていないだけじゃないのか?

ライオンは獲物を見つけたら、全速力で走ってそいつを仕留めて飯にありつく、
わけでは決してない。
距離を保って獲物の後ろにつき、決して逃げられない場所まで追いつめたところで、首を噛み切る。

そこには戦術と、時間と、恐怖がある。
殺す時は、殺されることを常に考える。
だから常に一歩先を、画面が変わった後を、想像しなくてはいけない、予感しなくてはいけない。

牛のように目の前にある草を食べて、何度も嚥下と嘔吐を繰り返すことで快楽を得ることはできない。
後ろには、別のライオンがついているかもしれない。
そして皆がお前の敗北を見るだろう。
その恐怖に目をつぶらないために、誰よりも次に起こることに注意を向け、その準備をしなければいけない。

結局のところ、学問をするとはそういうことなんだろう。

恋愛をするとは、未来が見えるということだ。

完璧なものはいつだって、常に変化している、雲の形を見ればそれが分かる、
って誰かが言ってた。


2009年2月11日水曜日

約束はできない/ソリチュード



今は2009年で、2004年の4月から数えてもうすぐ5年が経とうとしていて、あと5年経てば2014年になるだろう。
当たり前のことだけれど、時間がたつというのはすごいことだと思う。
人には予知能力というか、先のことがわかる力があって、それはきっと誰にでもあって、
2004年に思っていたことが、今は現実になっている、なんていうのはごく普通のことだ。
ただ、今は2009年で、5年前の2004年のことを思い浮かべて、あぁ何だ、今俺がやっていることは全部、
2004年に考えていたことばかりじゃないか、なんてふとした瞬間に理解してしまって、立ち止まってしまうことは、
未来が見えることとは違って、すごいことだと思う。
恐ろしいことだ、とも、いえるのかもしれない。

でも最近の僕は一週間先のことしか分からない感じだけれど。
デートの約束も、再来週に、なんて言われると冷めてしまう。これはよくないことかな。
土曜日の飲み会に来たイタリア人は来月ならOKよ、って言ってた。つれないな、と思ってしまう。

高橋源一郎はこう書いている。
「相手の顔を見すぎるのはよくない、そんなことしたら相手が自分の顔を見れなくなってしまう。
だから相手が自分の顔を見れるように、70パーセントぐらいでぼんやりと見るべきなんだ。
それから残りの30パーセントで相手の顔の15センチぐらい横をみるといい」
「そこには何が見えるの?」
「自分と、相手の、未来さ」

僕の好きな小説は、「未来」について書いていることが多い気がする。単純に僕が暗い小説は好きじゃないだけかもしれないけど。ただ、好きな歌は、「過去」のことを大事にしているものばかりな気もする。ちょっと暗いぐらいの歌は嫌いじゃない。ただしみったれた歌は最低だ。今思いついたことだから、よく分からないけれど。

村上龍はこう書いている。
「女のふとももは、ときどき恐竜になる」

かわいい女の子と焼肉を食べに行って、帰りに家によって安くて美味しいワインを飲む。
それ以上に幸福なことがあるだろうか。
でも最近の僕は、いやそうじゃない、ほんとに5年前のお前は、そんなことがしたかったのかと、そうした言葉と感情に、捕らわれてしまう。

たしか伊集院静だっけな、人生は結局、一人遊びだって言ったのは。
ひとりで遊んで、ひとりで楽しんで、ひとりで悲しんで、そしてひとりで死んでいければ、それ以上に幸せなことはないってさ。

俺がやっていることも、一人遊びかもな。この意味も、よく分からないけれど。

2014年に、もう一度ソリチュードを感じることが、できるだろうか。
最近は5年前に聞いた、そんな言葉をよく思い出す。



2009年2月5日木曜日

Hair do



ある日思い立って髪を切った。
厄払いだったり気分転換だったり逃避だったりの意味合いもあるんやけど、髪をきちんとしておくという行為には、
ジョン・ウォーターズが雑誌のインタビューで言ってた「髪をブリーチして微笑みを忘れずに」という言葉をよく思い出す。
これは「宇宙人にあったら人間のことをなんて説明しますか?」という質問に対する答えじゃなかったっけ。
よく覚えてないけれど。
それから部屋の模様替えをした。
本棚や冷蔵庫や楽器を動かして部屋全体の雰囲気を変えた、というか自分がいる空間を固定できるような場所にした。
いつも部屋中を動き回って一つの作業に集中できないことが多いので、そういった習慣を変えるためだ。

結局の話、音楽でも小説でも、嫌いなものの方が多い。
もっといえばつまらないものの方が多い。
本当だろうか?実は僕がつまらないだけなのかもしれない、
とも思うけれど、いやそんなことはないだろう、という結論にたいてい落ち着く。
だからつまらないものを生産している場に行くと気分がいらだってしまう。
僕がこの分野で勉強を続けていきたいのは、そこは本来もっと実り豊かな場所なのに、
あまりにつまらない言説が再生産されているからだろう。というか、間違ったことばかり言っている。
さらにいえば、世界が間違っている。いやそうじゃない、世界に関する一般的な認識が間違っている。
ということは、僕の認識も間違うことが多くなってしまうので困ってしまう。
だから、もっともっと正しくて豊かな理解をするために、この勉強を続けなくてはいけないんだ、
と昔はよく思っていたけれど最近は忘れがちだったのでここに書いておこう。

冷戦時代と言えばつい20年前の話なのに、もう昭和を飛び越えて江戸時代の話のように聞こえてしまう2009年だけれど、
僕も先週のことがまるで遠い過去に思えてくる。部屋掃除しながら昔買った雑誌を読み返してみたら、そこにのってる作家の言葉がどこか楽観的に見えてしょうがなかった。
最近は何を見てもそうだけれど。ただ言っていることは素晴らしい。
「僕は子供が親を殺しに行く小説を考えたことがあって、でも子供が親を殺しに行く時は明るい気持ちで殺しにいってほしいんだ。結局そうならなかったんでその小説は書けなかった」
これは矢作俊彦の言葉。
それから村上龍の特集本で橋本治が書いていたのでちょっと読んでみたら「69」をほめていたので嬉しくなった。
やはり彼は違いの分かる男だ。ほめ方も面白い。つまり村上龍は金の意味が分かっている、金の意味が分かって書いた青春小説の「69」はだから面白い、ということらしい。
「金はそれまでの歴史の一切を無効にしてしまう力を持っている。だから平気で、貧しいだけの青春を豊かに書けるんだ」
たぶんこの言葉が書かれたのは89年だと思う。違うかもしれないが。今この言葉は意味を持つだろうか。
とにかく僕は金がない。だからもっと頭がよくならなければいけない。これも勉強を続けなければいけない理由だ。

そう先週は女の子に誘われて演劇を見に行ってそばを食べて日本酒を飲んだ。
肝心の演劇が気に入らなくて僕は何だか気分が悪かったんだけれど、批評家ぶってそんなこと言うのは蕎麦と酒と女の子にみっともない気もしたので確かムーン・リバーについて話をした。でもつい「さっきの劇には問題があるよね」って言うと、その子も「私もそう思います」というのでその後は劇について悪口を言い合った。
そうだ批評なんかじゃなくて僕たちはもっと悪口を言わなければいけない、元気な女の子と一緒に。

2009年1月27日火曜日

さよならだけが人生だ/恋も二度目なら



最近読んでいる本が大戦時にチベットに潜入して対中戦線を築こうとした諜報員の書いたものだからか、コンビニに公共料金の振り込みに出かける時に靴下が見つからなくて裸足にサンダルをつっかけて家を出た。
タバコがそろそろ切れるので新しいものをと思ったらラクダの絵が目に入ったのでCAMELを買った。
晩飯にいつものようにそばを食べようと思ったのだけれど、たしか去年の4月にできたインド料理屋の前を通って中を覗いたら誰もいない様子だったので一旦通り過ぎたのだけれど、心の中で待てと呼ぶ声がして、ラクダの絵のタバコを握って店に入った。

本当に店には誰もいなくて俺は一人でマハラジャビールとインド豆煎餅と揚げ餅とサラダとチキンカリーとナンを食べてラッシーを飲んだ。店長は相当暇そうで何度も話しかけてきてくれた。味はそうとう律儀なもので、日本人相手に控え目にしているんじゃないかと思った。大きなお世話だが、平日とはいえこの時間帯に客がいないのは危機的かもしれない。この辺りは住宅街で家族持ちがメイン層だろうけど、あまり一家で今夜はカレーを食べるか、なんてことは少ないだろう。それより向かいのお寿司屋のほうが繁盛している気がする。インド人の悲しみか。接客態度は最高だった。

やっと一人になれた、か。確か豊田道倫さんの歌だったと思うけれど。

この一週間はいろいろなことがあった気がする。

高橋源一郎の新しい小説で素晴らしいことが書いてあった。
「昼」と「夜」の違いは、単に陽が出ているかどうかということじゃない、「夜」が明けて「昼」になればまったく違った人間になっている、それが「夜」の時間だ。
俺も今は、そんな長い「夜」を渡っている、そう思いたい。

先週の金曜日の夜はそんな「夜」だと思って、新宿JAMへ行って工藤冬里さんの歌を聞いてきた。その日は金子寿徳さんのためのイベントだったのだけれど、僕は光束夜の音楽はよく分からなくて、正直申し訳ないなと思っていた。
光束夜のCDは一枚しか持っていない、それも灰野敬二が帯にコメントを書いて、工藤冬里がライナーを書いていたのでこれは聴かなければいけない、と思って買ったものだ。このライナーの工藤冬里の文章はあまりに素晴らしい。この日に朝の5時に始発で帰った時にもう一度この文章を読まなければいけないと思った。そこにも「一人になった」という言葉があった。だけど「一人になれた」とも書いてあった。
「夜が限りなかったら」という曲は、たしか工藤冬里はこの夜歌っていたと思う。しかしあまりに淡々と曲が始まって終わるので、何かセンチメンタルになる暇もなかった気がする。最後の曲が終わる時に、「あー、あー」と絶叫していた。これは光束夜の歌の「あぁ」のことを思って出した声なのかもしれないけれど。

2009年1月20日火曜日

human garbage



一昨日の夜はフレッド・フリスを見に六本木まで行ってきた。
メタボ気味になった今ではたぶんギターを昔みたいにゴリゴリ弾くことはないから、それなら音響派みたいな演奏されたらげんなりしてしまうかもな、と思って期待もせずに聞きに行った。会場はすごい人の入りで、やっぱり人のクラスが違うなと下らない会話を友達としながらビールを飲む。フレッド・フリスや大友良英が好きな女の子っていうのはどこにいるんだろう?と言うから、図書館とかに勤めているんじゃないか、と答える。代官山の服屋のお姉さんとかも好きかもな。フレッド・フリスが好きな女の人は一人しか知らない。
ライブは予想の100倍くらいよかった。こういう展開なんだろうなっていうのは良く分かる演奏形態だったけど、三人のプレイヤーの音の選択が見事にはまって快楽的なオーケストレーションになっていたと思う。特にフリスのギターの音が途中からビシビシ決まってきて、一音ごとに全身の筋肉を逆立たせるような感触が味わえた。演奏者の音像そのものを予想させながら、そのトーンで裏切っていくような進行は、聞き手の全能感を刺激すると共に聴取能力を一段引き上げるものになっていたと思う。

気分良く帰る。
けれど本当は明日のことを思うと演奏をまともに聞いていられなかった。

でもそんな心配はやっぱり杞憂だった。
human garbage という言葉は最近よく頭に浮かぶ。

迷ったけれど、古書店「ほうろう」でミニコミ「ハードスタッフ」の発行者、小西昌幸さんのトークを聞きに行く。
居心地の悪さを感じる。
もちろん「ハードスタッフ」で伝えられている人も、物も、価値のあるものばかりで、日本人ならすべての人が読むべきだとは思うけれど、もし文学のことも音楽のことも分からない人達に、単なる自己満足だろう、としたり顔で言われたら、一体どうすればいいんだろう。労働者を社宅から追いやって路上で凍死させているような大企業の経営者達が日本をリードする人材だとしたら、そういった人間が理解できるようなものを見せてやらなければ、ただの手慰みだと言われるんじゃないか。
そんな恐怖感がずっとつきまとっている。

2009年1月18日日曜日