2010年8月21日土曜日

いましかない


不必要な重みと体積を伴った本が机に置かれていなかったら、僕は何かをしようとは思わなかったろう

過去と現在を上手に繋いでストーリー・テリングをこなすことが出来なくなってしまって眠れなくなった次の日に、
本屋で見た『HIP The HISTORY』と『New Horizons in Jazz Research』を見てすぐに気付いた、
今の俺にはエクリチュールが欠けている
すぐに近くを歩いていた後輩を捕まえて、HIP っていうのは今この瞬間にイケてるかイケてないかを最重要の関心事に据えて世界と対峙するアティチュードだって嘯いた

沈黙は罪だ、まったく個人的な意味を背負いながら

植草甚一さんの『僕がすきな外国の変わった漫画家たち』、僕にはこうしたおじさんはいない気がする、友達しかいない
ドナルド・バーセルミの『帰れ、カリガリ博士』『死父』、いつか高橋源一郎が紹介していたバーセルミの絵本が読みたい
藤井貞和さんの『詩的分析』、ジョン・ファンテの『塵に訊け!』、『中平卓馬の写真論』
そういえばピート・ハミルの『ボクサー』は原宿の Tokyo-Hipsters-Club で買ったんだったな、素敵な小説だと思う

意味のないことをする必要はない、ただ意味を殺したい気持ちはする

ジョルジュ・バタイユの『青空』、確か大学一年の時に、天沢退二郎訳だから買った
そういえば荒正人の『思想の流れ』には、いつまでも真面目な君、というソンタグの言葉がよく似合う
チェーザレ・パヴェーゼの『美しい夏』は先輩がいいって言うから買った、そういう本は捨てられないな

ただ不必要な質量を備えた書物に対して、限られた時間で出来ることはこうして名を連ねることだけだろうか

2010年8月8日日曜日

パーティーの後で



あと4週間だけ残されている、十分な時間だろうか

穂村弘の『シンジケート』が出たのは1990年、20年前か、悪い時代じゃなかったのかもしれない
もう一つ『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』、『車掌』、『いじわるな天使』、『求愛瞳孔反射』、『回転ドアは、順番に』

川上史津子の『恋する肉体』

藤井貞和さんの『ことばのつえ、ことばのつえ』はいただいたものだから、大事にしたい、「カナリアのうた」の朗読は素敵だった、『人間のシンポジウム』、『ピューリファイ、ピューリファイ!』もいただきもの、『パンダ来るな』のCDは工藤さんに差し上げたから今手元にはない、初めて読んだ現代詩は藤井貞和さんの「雪、nobody」じゃなかったかな
それから『織詩』と『神の子犬』、いつもこうした詩集を手に取ると、「不必要な」重さや大きさに気付く、もし全ての本が液晶画面に浮かぶ姿になったら、決して誰も「不必要な」本を読もうとは思わないだろうな

谷川俊太郎の『コカコーラ・レッスン』、誰か高名な詩人か批評家が刊行時に「最高傑作」て言っているのを見て買った気がする、逆だったかも
『夜のミッキー・マウス』と『真っ白でいるよりも』、この2冊はお気に入りで、『夜』は本屋で立ち読みしてすぐ買った気がする、『白』は高校生の時のものかもしれない

そういえば吉増剛造さんがこの前のトーク・ショ―でジャン・ジュネの『シャティーラの四時間』を持っていたな、鵜飼哲さんが同席してたからかな、持っているのは『黄金詩篇』、『花火の家の入口で』、『ごろごろ』以降の詩集、昔アイルランドの紀行写真集が欲しくて、たしか文京区の図書館で見つけたんだよな、その時はまだ多重露光にトライしてなかった

辻井喬の『ようなき人の』、この詩集を見ると大学一年生の頃に友達とサークルを作っていた時期のことを思い出す、確かこのタイトルだけに惹かれて買ったんだけど、今はそんなことも言ってられないな

田中エリスの『かわいいホロコースト』は下北沢の古本屋で買ったんだけど、渋谷から二子玉川に向かう田園都市線の車内で酔っ払った女に、この本が欲しい、って言われたんだ

松浦寿輝先生の『吃水都市』、いつも「水」という主題には驚きがあるけれど、いつもそうした個人的感傷を越えていくエクリチュールに気づく

現代詩文庫は増え続けるから割愛、でも粕谷栄市の詩集がこれだけなのは惜しいことだ、確か松浦寿輝先生が粕谷栄市さんの自宅がある街を車で通りかかって、この街に日本で最高の詩人が住んでいるのだ、と想う文章を書いていたと思うけど、そういう感慨はよく分る、その人に会わなくてもいい、街に行って空気を嗅いで歩けばいい、という感じかな

粒来哲蔵の『穴』はもっとしっかり時間をかけて読むべきだった、そういう本は多い

吉岡実の『ムーン・ドロップ』は高松駅から10分くらい歩いたところにあって偶然入った古本屋で見つけたもの、素敵な店長が居て、色々親切にしてもらった思い出がある

『エリオット詩集』は大江健三郎の本に引用されているのを読んで古本屋で買ったんだっけ

先週は古本市で1954年の『荒地』、田村隆一の『詩と批評』を手に入れた、これが最後に買った本になっても、いいや