2010年3月17日水曜日

spring to another summer



昔クロス・オーバー・イレブンというNHKラジオの番組が好きでよく聴いていた。エッセイのようなショート・ストーリーのようなMCの語りとAORやソフト・ポップ、あるいはラウンジ・ジャズが交互に挟まれる形で進行していって12時を少し過ぎたところで終わる。きっとそんな聴き方は誰もしていないだろうが、語られる話自体はとてもゆっくりしたテンポのMCと相まってアイスが溶けたウィスキーのように意味を薄めていき、当時フリージャズに傾倒していた僕の浅はかな思いこみによるものだろうが、選曲の現代から逃避したようなあまりの潔さと清冽さも加わって、どこかこの番組自体が一つの大きな悲しいジョークのように思えてしまうのだ。もちろん熱心にラジオのチューンをあわせていた時はそんなこと思いもよらず、ただなぜ音痴の中学生がコンクールで皆に囃したてられ涙を流す話をするのか、なぜそのストーリーが終わるとジョージ・ベンソンが流されるのか、訳も分からず一体この番組が誰に対して何を目指しているのかもわからなくて、ただ一週間毎に繰り返されるその放送をエア・チェックしていた時期を思い出すと、ベッドに寝そべっていた僕の顔には困惑に似た、けれどもまるで透き通った微かな笑みといえるものが浮かんでいたことは確かだった気がする。数多くあったラジオ番組の一つとして、そしてラジオの特質をなぞる様に、僕はまるで一つのふざけた時間の共有を行っていたんじゃないだろうか。家族との夕食やテレビを時にはひとり抜け出して部屋に籠り、名にくわ顔で周波数を探りその声を見つける。そして時間が来ると未練もなくスイッチを切り布団をかぶる。時間と書いてしまったが確かにその一時間や二時間こそ僕にとっての一時間であり二時間なのだ。

そんな記憶を引っ張り出してくる必要などもうあるのだろうか。どうやら番組も終わってしまっているようだ。でも僕はいまでもときどき真夜中が近づくと手のひらのMP3プレイヤーでFMの周波数をさぐり、あのとき聴いた未だかつて、そしてこれからも出会うことがないような声をさがしているのだけれど。気づいたら僕もその人の口調を真似て、固い唇と白い肌の思い出に似た物語を始める時が来ているのかもしれない。

部屋に詰め込まれた何百冊かの本の中から明日のために林浩平/裸形の言ノ葉、秋田昌美/ヴィンテージ・エロチカ、パトリック・ベッソン/ダラを持ちだして鞄に詰める。家の外の桜はまだ咲いていない。

2010年3月5日金曜日

松山の梅



松山へ旅行をした。待ち合わせをした人に連れられて、砥部町の梅祭りに立ち寄って、紅白の梅を見た。

軒先に並んだ手作りの漬物や梅干しのうち梅の実を味噌で漬けたものに手がとまり松山から大阪に出航したフェリーの船室で誰も寝静まった後につまむ。外では時化た海と風の音がボイラーかベッドで寝てる彼女の鼓動か分からなくなるほどに耳を打った。窯を覗いた後に手を十分に洗い上着を一枚脱いで土をこねてろくろに乗せる。手本を見せてもらおうと目を凝らすけれど岩のようにろくろの真中に据えられた両手の中に土が隠され次第に一本の蛇のようになって隙間から伸び出た後はいわゆる茶碗の形となる時間を真似できるわけがない。松山城から車に乗って山を越えて小一時間も進むと十字路の隅にさりげなくあったうどん屋に入り釜揚げうどんをご馳走になる。熱い茹で汁に浸かった両手いっぱいほどの中太麺を少量の味噌で溶いて柚子とたぬきと小葱を足したタレに絡めて食べるのだけれど麺を前歯や上唇や舌の先で噛み切った時の熱をそれから一週間も過ぎた今になっても思い出す。帰りの車の中で店主は山肌に出鱈目な化粧を施す趣味があってそれにかかる絵具代を稼ぐためにうどん屋を開いたことを知る。四国に色々と美味いうどんはあるけれどあの店は次元が違うという言葉を聞いてその意味が分かることが年を経ることに近いと空想してしまう。

僕がこの短い旅行のことを一枚の景色に描くことが出来るのはもう少し先のことだろうか。