2009年2月19日木曜日

わたしはライオン



午前3時に友達は帰ったから、僕は部屋で一人になる。
周りの人間が動いていく様を、映画のように見ている時間は終わった。

昨日はワインを開けて、家にあったジャズ・ボーカルのCDをあらかた聞いてから眠った。
寝違えた左首がずっと痛む。

好きなバンドの「ひみつ」という曲は、僕の現在にあまりにも似ている。
だからどうということはないが、悲しみの分だけ、知るべきことはあると思いたい。

2年前くらいは、恋愛のアナロジーで人文学の全ての理論は語れると思っていた。
それから違うことに夢中になって、もう一度恋をして、やっぱり一人になった時に、考えることは同じだった。
馬鹿のように執着を見せているのは、この体験についてもう少し考えることで、目を覚ますことができると思うから。
今までそうだった。これからもきっとそうだろう。

牧場で草を食ってたまに交尾してる牛とサバンナで肉になる獲物を探してるライオンはどう違うのか。
3時間前に帰った友達が言ってた、俺は彼女との将来を考えているから家に誘わなかった、と。
俺は意味が分からなかった。
じゃあ単にがっついていればセックスが出来ると思っているのか?
愛する人と結婚できると思っているのか?
お前は相手の気持ちも体も何も考えていないだけじゃないのか?

ライオンは獲物を見つけたら、全速力で走ってそいつを仕留めて飯にありつく、
わけでは決してない。
距離を保って獲物の後ろにつき、決して逃げられない場所まで追いつめたところで、首を噛み切る。

そこには戦術と、時間と、恐怖がある。
殺す時は、殺されることを常に考える。
だから常に一歩先を、画面が変わった後を、想像しなくてはいけない、予感しなくてはいけない。

牛のように目の前にある草を食べて、何度も嚥下と嘔吐を繰り返すことで快楽を得ることはできない。
後ろには、別のライオンがついているかもしれない。
そして皆がお前の敗北を見るだろう。
その恐怖に目をつぶらないために、誰よりも次に起こることに注意を向け、その準備をしなければいけない。

結局のところ、学問をするとはそういうことなんだろう。

恋愛をするとは、未来が見えるということだ。

完璧なものはいつだって、常に変化している、雲の形を見ればそれが分かる、
って誰かが言ってた。


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