2009年1月20日火曜日

human garbage



一昨日の夜はフレッド・フリスを見に六本木まで行ってきた。
メタボ気味になった今ではたぶんギターを昔みたいにゴリゴリ弾くことはないから、それなら音響派みたいな演奏されたらげんなりしてしまうかもな、と思って期待もせずに聞きに行った。会場はすごい人の入りで、やっぱり人のクラスが違うなと下らない会話を友達としながらビールを飲む。フレッド・フリスや大友良英が好きな女の子っていうのはどこにいるんだろう?と言うから、図書館とかに勤めているんじゃないか、と答える。代官山の服屋のお姉さんとかも好きかもな。フレッド・フリスが好きな女の人は一人しか知らない。
ライブは予想の100倍くらいよかった。こういう展開なんだろうなっていうのは良く分かる演奏形態だったけど、三人のプレイヤーの音の選択が見事にはまって快楽的なオーケストレーションになっていたと思う。特にフリスのギターの音が途中からビシビシ決まってきて、一音ごとに全身の筋肉を逆立たせるような感触が味わえた。演奏者の音像そのものを予想させながら、そのトーンで裏切っていくような進行は、聞き手の全能感を刺激すると共に聴取能力を一段引き上げるものになっていたと思う。

気分良く帰る。
けれど本当は明日のことを思うと演奏をまともに聞いていられなかった。

でもそんな心配はやっぱり杞憂だった。
human garbage という言葉は最近よく頭に浮かぶ。

迷ったけれど、古書店「ほうろう」でミニコミ「ハードスタッフ」の発行者、小西昌幸さんのトークを聞きに行く。
居心地の悪さを感じる。
もちろん「ハードスタッフ」で伝えられている人も、物も、価値のあるものばかりで、日本人ならすべての人が読むべきだとは思うけれど、もし文学のことも音楽のことも分からない人達に、単なる自己満足だろう、としたり顔で言われたら、一体どうすればいいんだろう。労働者を社宅から追いやって路上で凍死させているような大企業の経営者達が日本をリードする人材だとしたら、そういった人間が理解できるようなものを見せてやらなければ、ただの手慰みだと言われるんじゃないか。
そんな恐怖感がずっとつきまとっている。

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